アンテナの歴史カフェ

第4回 ニューマン文書の行方(3)

表紙に「ニューマン文書」の文字が大きく印刷された冊子は数十頁の分量があり、表紙にはさらに「昭和17年6月22日 南方軍兵器技術指導班」の発行機関名および「部外秘」の記述がされていた。

開巻第1頁、少し黄ばんだ用紙に印刷された英文字が目に飛び込んできた。

S.L.C. THEORY
1. INTRODUCTION
1-1. Function of Equipment

続く文章は、

The S.L.C. Equipment is designed for detection of aircraft ---

上の記載から、この文書がS.L.C.(Search Light Controlの略)、すなわち探照灯管制レーダーに関するものであることが分かる。ここで、探照灯管制レーダーは、敵機をレーダーで探知し、その探知結果を探照灯と連動させて探照灯の光を敵機に向けるために使用されるものである。
続けて、YAGIの活字を求めて文字を追った。しばらくすると、YAGIの文字が大きく目に飛び込んできた。

The transmitting aerial consists of a YAGI array mounted well above projector barrel on outriggers.


ニューマン文書中の"YAGI"表記
(文中の"YAGI"表記箇所とは異なります)

Arrayとは、元来「(軍隊を)整列させる、整列」などの意味であり、転じて「(アンテナの)多数の金属棒が排列されているもの」となった。
なお、アンテナは、日本では長く「空中線」の言葉も併せて使用されてきたが、現在の学術用語としては「アンテナ」に統一されている。戦後輸入されたイギリスの本にはaerialが多く用いられていたが、現在ではイギリスでもantennaが用いられるようになっている。

さらに読み進めていったところ、ニューマン文書には、送信用に1基、受信用に4基、計5基の八木アンテナを使用した機器が記されていた。各アンテナは、それぞれ5本の金属棒で構成された5素子八木アンテナであり、後方にそれぞれ円形の反射板が設置されていた。
なお、昭和17年10月に旧日本陸軍が開発した「た2号型電波標定機」は、「ニューマン・ノートのS.L.C.に高射に必要な測距回路を追加したものである」と前掲(本アンテナ物語第2回参照)の昭和53年第82号の防衛庁資料に記してある。その構造は、ニューマン文書に記載されたものと同様に送信用1基、受信用4基の八木アンテナから構成されている。このように、ニューマン文書は、我が国のレーダー開発に大いに役立ったのである。

さて、情景は塩見氏宅に戻る。
私(筆者)は「この文書を貸してください」と何度も頼んだのであるが、塩見氏は頑として承知してくれなかった。塩見氏にとっては、戦後40年以上が経過していてもなお、この文書は軍の機密書類なのであろう。仕方なく、私は文書にさっと目を通し、持参したノートにその要点を筆記し始めた。数時間が経過して日の傾く頃になり、私はこの文書の全容を筆記することができない旨を正座を崩さずまさに全面降伏の姿勢で申し述べた。その誠意と意気に感じてか、やっと借用の許可が下りた。

このように、八木・宇田アンテナは我が国で発明されたが、それを実用化して大いに利用したのは、イギリス、アメリカなどの外国であった。しかも、この高性能アンテナをYAGI arrayすなわち八木アンテナと名付けたのは外国なのであった。
最初は我が国において離島との間の試験無線通信に用いられ、戦時中には敵国のレーダーに使用されたこのアンテナが、現在ではテレビ受信に世界中で最も多く使用されている。もちろん、一般の無線通信、その他特殊用途にも広く使用されているのである。

ニューマン文書の行方 <完>

参考資料:
里文出版『アンテナ物語 その歴史と学者たち』

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