アンテナの歴史カフェ

第2回 ニューマン文書の行方(1)

戦後、多くの人々、とくにアンテナに関係した技術者や学者、軍に関係のあった方々、防衛庁(現、防衛省)の方々にニューマン文書について尋ねたが、ニューマンについて知っている人は何人かいたが、誰一人としてそのノートを見た者はおらず、ニューマン文書は幻のノートであった。

昭和62年(1987年)は、ヘルツが電磁波を実証して100周年目にあたり、それを記念したアンテナ関係の学会がドイツのビュルツブルク、イギリスのヨークで開催された。

ヨークの学会会場では関係分野の図書が多数展示販売されていた。レーダーに関する図書である、S.S.Swords著”Technical history of the beginnings of RADAR”も販売されており、学会開催の前年の昭和61年(1986年)にPeter Peregrinus Ltd., Londonより発行されたものであった。この本には、イギリスはもちろんのこと、アメリカ、ドイツ、ロシアなどのレーダーの歴史が写真とともに記されていた。日本についても記載されており、第4章第6節に”Beginning of radar in Japan”と題して数頁が割かれていた。この本は全部で300頁もあるのに、日本に関する記述はすこぶる簡略なものである。

ただ、この本の参照文献中に「技術資料 昭和53年(1978年)第82号 第2次大戦下における日本陸軍のレーダー開発 対空電波標定機た号2号、た号改4型」防衛庁技術本部技術部調査課、があった。電波標定機とは旧日本陸軍の用語で、現在のレーダーのことである。この参考文献の40頁には「ニューマン」の文字が記してあった。

読み進めると、

その頃丁度シンガポールが陥落し、昭和17年7月頃に南方総軍兵器部から技術本部あてに、「こんな珍しいものが見つかったので何か参考になるだろう」と1冊の戦利品の「ノート」が送られてきた。これは陥落後のシンガポールの兵営の紙くずかごかの中から発見されたもので、題して「ニューマン文書」と記されていたものであった。

さらに、

これは英軍のニューマン伍長の所有物であった。奇しくも彼は捕虜の身となって、当時東京品川の捕虜収容所に収容されていたことが判明した。この文書に関連して種々詰問したが、技術的レベルのそんなに高い男ではなく、英本土でにわか教育を受け器材を携えてシンガポールに着任して来て、専ら取扱いに任ずる兵員であり、研究開発に関しては質問しても当を得た返答を得ることはできなかった。

とある。

そしてさらに、

そのノートには何やら兵器の回路図及び性能が「メモ」的に書き止められており、一つは音源標定機(野戦砲兵用)の回路図であり、もう一つがどうもラジオロケーターであるように見えた。よく解読してみたところ、機器の名称はS.L.C.(Search Light Controlの頭文字)と呼ばれ、従来の空中聴音器に代り、照空灯を敵機に指向する電波兵器であることが判明した。

と続いている。

この資料によって、ニューマンに関することがかなり明らかになってきた。これを手掛かりにしてニューマン文書について伝手をたどって尋ねてみたが、誰もそれを見たという人はいなかった。依然として、ニューマン文書は幻のものであった。

つづく

参考資料:
里文出版『アンテナ物語 その歴史と学者たち』

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